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韓国から感動のひと口小話(2)2023年02月02日

脱出を放棄し国民を守った~若き操縦士の最期~(韓国版『塩狩峠』)

20代の青年操縦士は、最後の瞬間まで操縦かんを離さなかった。韓国空軍は13日、‘去る1月11日、京畿道(東京都のような首都圏行政区域)・華城市(都下に相当)のF-5E戦闘機墜落事故で殉職した故シム・ジョンミン少佐(28才)は民間人を守ろうとして、非常脱出はしなかったと判断される’と明らかにした。

シム少佐は11日午後1時43分、京畿道・水原空軍基地から離陸した。まもなく、両方のエンジンに火災警告灯がつくや、水原空軍基地に緊急旋回する途中、操縦系統にも欠陥が発生した。機首が急降下し、シム少佐は脱出を2回叫びながら管制塔に‘脱出する’と通報した。

フライト・レコーダーを分析した結果、シム少佐が脱出を宣言してから華城市の山野に墜落するまで10秒ほどの余裕があった。しかし、非常脱出装置に手を触れたという声は録音されていなかった。その代り、シム少佐が最後まで操縦かんを握ったまま息切れした状況が記録されていたという。

このため軍の関係者は、脱出する余裕は優にあったにもかかわらず、民間人の被害・犠牲者を出してはならない、との思いを優先させたものと思われると語った。
当時、戦闘機は上下の操作が利かず左右操作のみの状態だった。生死の判断が行き交う数秒間に機首が山野の方向に旋回して行ったということだ。

墜落地点と近隣民家とはわずか100メートルしか離れておらず、周辺に400戸ほどのアパート、養老人ホーム、大学キャンパスを始め住宅や工場が密集している。ある空軍の操縦士は、‘その瞬間のことを思えば、家族もあり、本人ももっと生き永らえたい気持ちもあったろうに、それにもかかわらず、訓練されたパイロットの本能と使命感がそうさせたものと思う、とのべている。

結婚して1年しかたっていないというのに・・・

ポール駐韓米軍司令官は‘彼の犠牲は、どんな言葉や表現でも現わすことができないほど大きい’と称賛した。

(以上は、韓国の最有力紙‘朝鮮日報’2022年1月の記事を邦訳したもので、三浦綾子さんの‘塩狩峠’の韓国版と言われるゆえんです。)